【大人への旅路 第1話】留学までの道のり 〜日本での大学生活〜

はじめに

こんにちは!

アメリカの大学に通う留学生でもあり、10万人超えのフォロワーを抱える話題の留学系インフルエンサー「さのふみ」の留学生活の全てをインタビューしました!

記念すべき第1回は、「留学までの道のり 〜日本での大学生活〜」について迫ります。

プロフィール

名前:さのふみ
年齢:25歳
出身:名古屋

カレッジ:Diablo Valley College
専攻:Business
経歴:明治大学中退 → NIC International College → (社会人) → Diablo Valley College
座右の銘:気力、体力、時の運

さのふみのSNS:Instagram, YouTube, TikTok

第1話 明治大学への進学

2018年、僕は明治大学に入学した。この大学を選んだ理由は単純。実は、僕の亡きおじいちゃんが明治大学を卒業していたということを聞き、その話に魅了されたからだ。おじいちゃんには会ったことはないが、そのエピソードを聞くたびに不思議と親近感を覚え、明治大学に憧れを抱いた。

親戚から聞くおじいちゃんの話は、破天荒で自由奔放だったということ。だけど、強い芯がある人だったこと。特に印象に残っていることは、おじいちゃんの借金。おじいちゃんは、今も続いている家業を始めたものの、僕の父がその会社を継いだ時には大きな借金があった。 彼の生き方は、どこか自分と重なる部分があり、その姿に

「かっこいい」

と純粋に感じ、無性に明治大学に進学したかった。

当時は、これといってやりたいことはなかった。しかし、家業があったので、いつか僕が継ぐのかなとぼんやり考えていた。

「じゃあ、役に立ちそうな商学部だな!」

そんな軽い気持ちで商学部を選んだ。

将来何がしたいのか、ましてや留学をするなんてことは当時の僕は何も考えていなかった。

大学一年目

大学に入学した頃

大学一年生の一年間は彼女とほとんど一緒に過ごした。彼女と一緒に過ごす時間はとても充実していたけど、次第に心の中で

「このままではダメだ」

という声が大きくなっていった。楽しい日々の中で、ふとした瞬間に自分の将来に対する不安と焦燥感が押し寄せ、名古屋から東京に来た意味を見失っていった。

「何のためにここにいるのか?」

その問いが頭から離れず、焦っていった。

このままではいけない、何かに全力で取り組みたいという思いが強くなり、僕は目標を探し始めた。

挑戦の始まり

目標を探し続けた結果、僕がたどり着いたのはあるスポーツだった。

トライアスロン。

大学二年生の時、僕は当時明治大学にあったトライアスロンサークル「Metal」に入ることを決意した。トライアスロンは水泳、自転車、ランニングを連続して行う厳しいスポーツだ。自分を成長させるために、あえて自分に試練を与えることにしたのだ。

実を言うと、最初はバスケットボール部に入部したかった。高校時代をささげたスポーツをもう一度やりたかったのだ。しかし、バスケ部には推薦で入学した人しか入れないことを知り、大学一年生の時はバスケサークルに加入していた。しかし、サークルのバスケは遊び感覚で、僕は真剣にバスケをやりたかったのに、それができず居心地が悪かった。飲み会が多く、いいちこを飲まされすぎて、今ではあまり良い思い出ではない。

トライアスロンは、毎年「行列のできる法律相談所」というテレビ番組で取り上げられていて、純粋に

「かっこいい」

と思っていた。幸運にも、小さい頃に水泳やマラソンを経験していたので、そのスキルを活かせると思ったのだ。

憧れのおじいちゃんの背中を追って明治大学に入学したのに、「何をやっているんだ」と自問自答する日々だった。

「変わろう」

と力強く決意した。トライアスロンで何か結果を残そうと。その時、僕のトライアスロンへの挑戦が始まったのだ。

トライアスロンの練習は相当ハードだった。週に6回の練習をこなし、毎月目標を設定して、それに向かって必死に取り組んだ。おおよそ、水泳が月100キロ、ランニングが150キロ、自転車が1500キロを目標に、日々努力を積んだ。

当時の僕は、トライアスロン一筋で目をギラギラさせながら頑張っていた。先輩に負けたくなくて、時には熱くなりすぎて軽く暴言を吐いてしまうこともあるほど、本気だった。

大会の時のさのふみ

第2話へ続く、、、