【大人への旅路 第5話】留学生活 〜渡米〜

はじめに

こんにちは!

アメリカの大学に通う留学生でもあり、10万人超えのフォロワーを抱える話題の留学系インフルエンサー「さのふみ」の留学生活の全てをインタビューしました!

留学を志して、明治大学を退学。海外大進学の準備校であるNICに入学したさのふみ。第5話では、留学生活の始まりについて迫ります。

前回の話はこちら

プロフィール

名前:さのふみ
年齢:25歳
出身:名古屋

カレッジ:Diablo Valley College
専攻:Business
経歴:明治大学中退 → NIC International College → (社会人) → Diablo Valley College
座右の銘:気力、体力、時の運

さのふみのSNS:InstagramYouTubeTikTok

アメリカでの生活の始まり

渡米前の記念写真、さのふみを探せ

八月上旬、アメリカに到着。

来て思ったこと。

やばい、無理かも。

ホストファミリーのジョンとジャッキー。

英語がほとんど分からず、最初の数日は部屋に引きこもりがちだった。トイレに行くときでさえホストファミリーと顔を合わせるのが気まずく感じ、遠慮してしまっていた。

でも、3日目にふと、

「なんで、お金を払っているのに遠慮してるんだろう?」

と気づき、何かが吹っ切れた。

その瞬間から、自由に食材を使ったり、"遠慮する"感覚が薄れていった。3か月が過ぎる頃には、ジョンと話すうちに少しずつ英語が分かるようになり、彼が"エイリアン"のように感じる存在から、"会話ができる存在"へと変わっていった。

ホストファミリーの犬、Shadow

DVCスタート

新入生オリエンテーションの日。

ロシア人で後の相棒となるニックと初めて出会った。ニックは僕の友達のルームメイトだった。

そこから他の国からの留学生ともつるむようになり、日本人の友達も含めた4人で過ごすようになっていった。

僕はニックとお酒を飲みに行って仲を深めた。そしてどんどんコミュニティが広がり、もう一人のロシア人で後のハウスメイトとも出会う。

留学に来る前は、ロシア人留学生たちと一番長く過ごすことになるとは思わなかった。

初めてのLA

授業の方ではNICで英語が上達したと思っていたが、実際の授業や会話になるとなかなか言葉が出てこない。

授業ではみんなが積極的に発言するのに、僕は

「アッと」

詰まってしまうことが多かった。それでも、周りの人は優しく、話を聞いてくれた。

「これがDiversityなのか」

と、少しずつ新しい環境に馴染んでいく自分を感じた。

二学期

Math 192。日本でいうと、微分の授業を取った。

数学は高校2年生の頃から触れていなかったので、6年のブランク。

教授の英語の癖もつよく、最初の段階で危機感を感じた。

やばい。このままではついていけない。

A (90%以上)の成績を取りたくて日本語の参考書を急いで買って、勉強する日々。

テストは全部で4回。

1回目のテストで7割くらい。

やらかした.........。

UC バークレーのHassに行くにはGPA4.0を死守したい。このままでは保てない。

一学期の数学もはじめのほうでつまずいて大変だった記憶がよみがえり、不安が募った。

ここから、挽回しないと、本当にまずい。

でも、2回目のテストも結果は同じく7割。

やばい。このままだと、Cになってしまう。

それでも諦めるわけにはいかなかった。日本の大学を辞めて、University of California BerkleyのHaasに行くためにここに来たんだ。なんとしても成績を維持したい。ショックを受けながらも気持ちを切り替え、向き合い続けた。

3回目のテストでようやく8割に到達。

そして迎えた最後のテスト。2日間寝ず、死ぬ気で勉強して、94%!

しかし、最終のグレードは86%でB

このままではGPAが落ちてしまう。

先生に追加課題をもらって上げることもできるけど、恥ずかしい。

諦めるか。

そう思っていたが、学期が終わり、成績を確認すると――なんとA!

必死に頑張ったおかげで、なんとかGPA4.0を維持することができた。

そして、交友関係も変化していった。

最初は、あまり日本人とはかかわりたくないという自分の中で意地があった。

つるんでたのは外国人で少しずつ英語が上達していった。英語への恐怖心が薄れても、まだネイティブと話すのがこわかった。

でも、クラスの日本人の子とも話したり、日本人の友達も増えていった。

ヨセミテの石の上にも3年かな

第6話へ続く、、、