留学体験記 — 第一弾 UC Berkeley Business 福山 太一

始めに

みなさんこんにちは!

日本人留学生の、留学を目指してから現在にいたるまでのリアルを発信する”留学体験記”シリーズ。今回はその第一弾です。

Diablo Valley Collegeから公立大学としては世界ランク1位、カリフォルニア大学バークレー校(通称、UC バークレー)のハースビジネススクールに合格した福山太一さんにインタビューしました!

太一さんの留学体験をもとに、新たな挑戦成長の機会である留学生活の秘訣について深堀りしていきましょう!

プロフィール

名前:福山 太一
年齢:2001年生まれ
出身:新潟県

経歴:
2020年3月 高校卒業
2022年1月 Diablo Valley College (ディアブロバレーカレッジ)入学
2024年8月 University of California Berkeley (カリフォルニア大学バークレー校) 編入学

専攻:Business
コミカレでのGPA (平均評定):4.0 (オールA)
コミカレ時代の活動:DVC 日本人学生会長や数学チューターを経験
現在 〜 今後の活動:友人と留学支援事業を立ち上げ運営中

留学までの道のり

どんな幼少期でしたか?

新潟県で双子の兄として生まれました。幼少期はやんちゃな性格で、学校の音読中に勝手に立ち上がってウロウロするというような、わんぱくな一面がありました。僕のために”心のパワーアップ”というような特別授業まで行われるなど、現在、学生会会長をしている僕のイメージとはかなりかけ離れた幼少期時代を送っていました。

姉と弟は成績優秀でしたが、中高時代では部活中心で勉強はあまりしていませんでした。

留学しようと思ったきっかけは?

日本の大学受験がいやだったことが大きいです。日本の大学は先に何を勉強するか決めてから進路を決めるところが窮屈だと感じました。

対照的にアメリカは選択肢がたくさんあって夢が見つかっていない人に優しい国だと感じました。YouTuberのハルキに感銘を受け、その後に親に留学したい!とはっきり宣言したことを覚えています。

留学を決めた時の周囲の反応はどうでしたか?

父はとても驚いていました。母や弟はいいんじゃないと後押ししてくれました。自分の性格をわかっている家族だからこそ、日本の大学に進んだらなあなあになってしまうことが想像できたのかもしれません。

母と弟の理解を得られ、留学を決意し、色々と調べて父にプレゼンし、自分の本気を見せて父からも理解をもらうことができました。

高校卒業からコミカレ入学まではどのように過ごしていたのですか?

今はビジネスで、文系の専攻ですが、高校では理系で理学部や工学部を考えていました。英語はあまり勉強していなくて高校時代のTOEFLは37点でした。

高校卒業時はちょうどコロナ禍だったため地元でバイトをしながら、中学英語から勉強していました。そこからコミュニティカレッジ(2年制大学)の入学基準*まで到達しました。ガッツリ勉強をするようになったのは留学してからです。

注釈) 入学基準* ··· DVCの場合、TOEFL iBT 61 以上、IELTS 5.5 以上 (英検2級から準1級 以上に相当)

高校では周りに留学する同級生などはいたのですか?

周りには留学を考えている人はほとんどいなくて、前例はありませんでした。先生にも驚かれました。

渡米後の道のり

現時点までの留学生活を振り返ってみてどうでしたか?

アメリカに来た初日は不覚にも泣いてしまいました。ホームステイ先の部屋の窓から見える景色の綺麗さや留学の寂しさから自然と涙が出てきました。学校が始まるまでの期間は学校が始まるのが憂鬱で正直帰りたかったです。

最初の学期と一年目の秋はやはり大変でした。人間関係にも悩むことがあり、辛かったという記憶があります。

でもホームステイ先で一緒になった日本人の先輩たちはとても僕と波長の合う人たちで、時には遊んだり、お互いに切磋琢磨してきました。

メジャーはどのようにして決めましたか?

コミカレはメジャーが変えられるし、高校時代も理系だったので、Computer Sceinceにしようかとも考えました。

でもちょうどその時、令和の虎を視聴したことがきっかけでビジネスマンに憧れ、くわえて、もともとのちょっと目立ちたがり屋な性格がビジネスへのやる気の火をつけました。

実際のところ、Busines メジャーの競争率が高いことは留学した後に知りました。だからと言ってメジャーを変えるんじゃなくて、さらにやってやるという気持ちになりました。

履修登録や授業の取り組み方について教えてください

大体一セメスターで平均14単位ほど取っていました。みんなとは違って春学期(1月)に入学したので、2年半をコミカレで履修する計画を立てました。渡米する前に、運よく同じメジャーのDVCの先輩と知り合うことができ、先輩の履修プランを参考にさせていただきました。

半年みんなよりも余裕があるということもあって、基礎のクラスからしっかり学習できたのはよかったです。

渡米前に英語学習を進めていたとはいえ、それでも英語の授業**が一番大変でした。Office Hour*** に先生のところに行ってEssayを提出前に見てもらったり、先生と仲良くなったりして少しでもいい成績が取れるように動いてました。

注釈) 英語の授業** ··· 全学生が一般教養として履修するReading/Writingの授業のこと

注釈) Office Hour*** ··· 教授が生徒の課題や学習をサポートするために設定している時間のこと

勉強のモチベーションはどのように保っていましたか?

絶対にオールAを取って、Hass (バークレーのBusiness専攻) に行きたいという目標を強く持ち続けたことでモチベーションをキープできました。

今までサボっていた分、今がラストチャンスだと思って人より努力しました。留学という選択を応援してくれた親に対して、努力して成果を出すことで感謝を伝えたいと言う気持ちは常に持っていました。

学期中の1週間はこのように過ごしていました。勉強時間と課外活動に時間を割きました。特にビジネスメジャーにとっては課外活動は自分の企画を実践する良い機会であるため、学生会のミーティングやイベント運営などを数多くこなしていました。

学期中の太一さんのスケジュール

課外活動は何を行っていましたか?

たくさんの種類の課外活動をするというより、自分のためになるものに絞り質を重視して行いました。

日本人学生会 (Japanese Association: JA) のPresidentはもちろん、学校内で数学のチューターとして働いたり、日本語を教えるボランティアを行ったりしました。ほかにも、編入出願が終わった後にも友人と事業を立ち上げました。

JAのPresidentとして私が行っていたのはDVCの日本人学生に文化交流、進路、学校生活のサポートを提供し、より多くのコミュニティや活動の機会を提供する活動でした。具体的な活動内容は、役員に対してアドバイス等のフィードバックを行ったり、ミーティングの設定を行ったり、企業とのミーティングに参加したりなどがありました。

ホームステイでハウスメイトだった2名の日本人がJAのVice Presidentをしており、ミーティングやイベントの企画を毎日必死に行っている姿をみたのがきっかけでこの活動に興味を持ちました。僕自身も、この活動には多くの時間と労力を費やしていました。

学校公式の組織とはいえ、ボランティアでの活動なため一人一人が組織の目的をしっかりと理解して活動して行けるようにマネジメントするのには苦労しました。しかし、この活動のおかげで私は非常に成長できたと感じていますし、この活動に関わることができてとても満足しています。

普段の生活について教えてください。

アメリカにきてからの2年間はホームステイで生活していました。留学生は家の契約などが大変なので学業に集中できる環境を優先してホームステイを選びました。

編入の出願が終わったのを機に、同じステイ先にいた後輩の日本人と一緒にアパートでルームシェアを開始しました。その時から自炊を始めましたが、毎日パスタを食べて食費を節約していました。

また、体調管理としてどんなに忙しくても体を動かすことは決めていました。最近は暇さえあれば散歩しています。

編入後も生活費を抑えるため、日本人と家を借りて一緒に住む予定です。

獲得したスカラーシップ(奨学金)について教えてください。

バークレーへの編入学制度では毎年、2万人前後の出願者がいて、約5000人が合格しています。その中の優秀な学生150名に学長賞として返済不要の奨学金が授与されます。

今回、ありがたいことにHaasという合格しただけではなく、その奨学金をいただくことができました。これは、通っていたコミカレの日本人では史上初だと思われます。

バークレーに通うには、Non-Resident (州内在住者ではない人)に対して、現地生の3倍以上となる年間4,8000ドル (約750万円) の学費が課せられます。生活費など他のコストと合わせると年間72,000ドル (約1100万円) ほどかかりますが、奨学金により自己負担が半分になりました。

非常に名誉なことなので、本当に2年半頑張ってよかったと思いました。残りの2年もこの奨学金に恥じないように全力を尽くしたいです。

太一さんが獲得したスカラシップ:Regents' and Chancellors' Scholarshipという奨学金。カリフォルニア大学での奨学金は原則、留学生が対象外のものが多いが、この奨学金はカリフォルニア州在住者か否にかかわらず、出願時に提出したエッセイや課外活動の詳細、学業成績をもとに授与者が選出されて支給される。その年に入学するフレッシュマン(1年次)と編入生(3年次)の両方に適用される奨学金で、非常に高倍率。

今後の目標について聞かせてください。

バークレー在学中の目標としては、まず学業で良い成績をキープすることです。そして、日本人留学生のサポート事業の立ち上げたので、これを成功させることも成し遂げたいことの一つです。留学生活全般としては、世界から優秀な学生が集まるバークレーに入ることができたので、その環境を思い切り有効活用したいと思っています。編入後は新たなコミュニティを広げて切磋琢磨したいです。

大学卒業後の夢は、今行なっている事業から留学業界にインパクトを与えていくことです。具体的には、本当に優秀な学生たちが費用の負担をせずに留学支援サポートを受けられる構造を生み出したいと思っています。

新卒としてはコンサルか商社に就職したいと考えています。将来的には個人としても起業することを視野に入れています。

後輩へのアドバイス — 覚悟と芯 —

これから海外の大学に進学しようとしている方に伝えたいことは「覚悟を決めてくる」ことです。

英語や生活面での壁がある中で、UCバークレーへビジネス専攻での編入をつかむという難しいチャレンジをしました。目標へ向かって突き進むんだと決意して、芯を持って学業・課外活動に全力で取り組んだことで、バークレーに合格することができました。

留学中は誰でも学業や課外活動で困難を経験すると思います。僕自身が良い仲間を得てバークレー合格を実現できたように、真摯に一生懸命に取り組めば、応援してくれる人達と成果は必ずついてきます。

これから留学にくる方たちにはぜひ自分なりの「覚悟」を持って、海外での大学生活で存分に成長・活躍してほしいです。

まとめ

シリーズ第一弾では、新潟で生まれ育ち、周りに留学する人がいない環境から、世界でもっともレベルの高い大学への切符を勝ち取った太一さんのストーリーをお届けしました。

自身の目標へ向かって突き進みながら、その陰ではたくさん悩んだり、慣れないことに苦労されたそうです。しかし、最終的にはその努力が認められ、最難関大合格だけではなくスカラシップの授与者にも選出されました。

太一さんの留学体験談が、皆さんの参考になれば幸いです。

太一さんが通っていた2年制大学 (Diablo Valley College)とUCバークレーの詳細は以下にまとめています。気になる方はぜひご覧ください。

太一さんが通う大学情報の詳細

Diablo Valley College (ディアブロバレーカレッジ)について

アメリカ、カリフォルニア州のコミュニティカレッジ (短大)。カリフォルニア大学などの難関大学をはじめとする編入実績は全米トップクラス。また準学士での卒業や就業を目的とするプログラムも多数あり。例年、20~40名ほどの日本人が入学。

DVC 日本人学生会 インスタはこちら (入学検討中・予定者の方はdm可能です!)

DVC 日本人コミュニティのWebサイトはこちら

University of California, Berkeley (カリフォルニア大学バークレー校) について

世界大学ランキング第9位、世界公立大学ランキング第1位。ノーベル賞多数輩出。編入での合格率は26%ほど。専攻によっては5~50%。

バークレー 日本人コミュニティ Webサイトはこちら

Haas School of Business (ハースビジネススクール)について

全米で第2位のビジネススクールで、バークレー校のビジネス専攻が通う。編入の合格率は5%ほど超難関。

Hass 日本人コミュニティ Webサイトはこちら

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